0031 号 巻頭言

RubyKaigi 2011のテーマが「最後のRubyKaigi」になる5つくらいの理由

Rubyist Magazine 第 31 号をお届けする。

今号は、めでたく 6 周年を迎えた 【六周年記念企画】 Rubyist Magazine へのたより、 そしてささださんによる 6 周年のあゆみを分析した Rubyist Magazine 六周年、 実は古くから Ruby を使われている、Exerb でもおなじみの加藤勇也さんのインタビューの Rubyist Hotlinks 【第 25 回】 加藤勇也さん、 知ってるようで知らない人もいるバックトレースについて桑田さんによる Ruby でのバックトレース活用法、 須藤さんが RubyKaigi での発表を記事でまとめた るりまサーチの作り方 - Ruby 1.9 で groonga 使って全文検索、 カリスマこと安藤さんが RubyKaigi での発表のうち Google Wave の宣伝以外を記事でまとめた parse.y の歩き方 - ワシの Ruby は 4 式まであるぞ -、 sora_h こと Fukumori さんが RubyKaigi での発表と反響とその他感想を記事でまとめた だらだら LT の補足とちょっとした感想、 RubyKaigi の裏側を各担当者がまとめた RubyKaigi2010 の裏側、 そして Ruby 関連イベント となっている。


RubyKaigi2010 は無事に終了した。ということに表向きはなっているのだが、 実はまだ残作業があり、まだまだ気が抜けない。とはいえ、一般の参加者の方や、 各地で公開されているレポートなどを読まれている方にとっては、 話題の中心はすでに来年の RubyKaigi2011 のことになっているのかもしれない。

 「誰かが言ってた。イエス・キリストにすら福音のはじめがあり――そして、
 はじめがあるということは、必ず、おわりがあるということなのだ。」
   (新井素子『ひとめあなたに…』より)

来年の RubyKaigi2011 については、RubyKaigi2010 のクロージングで少し触れた。 とりわけ、テーマとなる「最後の RubyKaigi」については、大きな反響があった。 実際、RubyKaigi2010 が終わってから、いろんな場でその真意について質問を受けた。 もっとも、次回のテーマは非常に刺激的というか、強い意味を持つ言葉であり、 そのような反応も当然と言えるだろう。 ここではこの来年の RubyKaigi について少し説明したい。 なお、タイトルは釣り気味であり、きちんと数えたわけではないのでご了承いただきたい。

RubyKaigi は都合 5 回ほど開催し、当初と現在とではかなり様変わりしている。 まず特筆するべきことは、その規模の拡大である。 参加人数も増えてきているが、それ以上に開催規模が大きくなりつつある。 当初は1部屋で済んでいたものが、2010 年では企画部屋でも 1 イベントとしてカウントできる ほどのものが、同時に開催されるようになった。

もちろん、運営側のノウハウの蓄積もたまりつつあるので、単純に開催規模に比例して 負荷が高まるわけでもない。 とはいえ、大きなイベントを開催するためには、金銭的にも人的にもコストがかかるのは事実である。 特にまず頭を悩ませるのは会場探しである。交通の便としてはあまりよくないが会場施設は比較的優れた つくばと、交通の便は良いながらも何かしら制約のある(そして使用料の高い)都内の会場を毎年 交互に利用している。

ただ、このような事態はある意味予測されていたことでもある。RubyKaigiについては 以前からこの巻頭言でも折にふれて言及しているが、 開催規模の拡大路線については、0021 号 巻頭言で触れている。おはなしとしては、 2008 年から拡大路線を進み、それが 2010 年、2011 年になりそろそろ限界に近づいた、 という理解していただいても差し支えないだろう。

さらに金銭面については、正直な話予算規模はスタッフ個々人の年収を超えるようになっており、 ボランタリーな力を中心にして開催していくにはなんとも心もとない。 もっとも、現在でも合同会社 Ruby アソシエーションに主催団体の一つとして関わっていただいているが、 現状では主にスポンサーからの金銭のやりとり等の事務作業の一部と、海外スピーカーを 招聘する際にビザが必要となる場合の招聘者として、要するに法人格が必要な場合に 協力していただいているだけである。あまり深いところまで Ruby アソシエーションに 関わってもらうにしても、マンパワー的にも不透明な予算的にもあまり望ましいとは思えない。

なお、この財政的な基盤については、まさに RubyKaigi2010 の場において開催された、 日本 Ruby の会の会企画でも改めて触れた通り、 日本 Ruby の会が法人格を持つよう検討することが今期の活動計画にあがっている。 もし法人化が決定し、それが実現すれば、少なくとも個々人の財布に依存することなく、 独立した金額のプールの中から活動資金を捻出できるようになると思われる。

もちろん問題はこれだけではない。スケジュールの問題もある。 前述の通り会場探しは容易ではないのだが、さらに問題として、現状 1,000 人規模の 会場を予約するには1年以上前から動く必要がある。 今年で言えば、RubyKaigi2011 の会場予約は RubyKaigi2010 の準備期間中に 準備から会場費用の支払いまで全て済ませるくらいの日程だった。 これはつまり、RubyKaigi2011 の運営体制が出来上がる前に、 RubyKaigi2011 の方針について、すでにある程度決まってしまっている、と言っても過言ではない。

会場の制約というのは非常に大きい。何をゴールにするか、 何を求めるのか、そのようなものをスタッフの間で共有する前に、 会場による制約が前提として決まってしまう。これはあまりにバランスが悪い。 何か能動的にあることをやりたい、とスタッフの誰かが思いついても、 それが会場の都合でできず、しかもその会場はその人のあずかり知らぬところで 決まっているとなれば、そのイベントにかける意気込みを大きく損なってしまう だろう。これは避けるべきことである。

もちろん、これはたとえば 1 年半前辺りから、次々回の RubyKaigi の実行委員会を 発足し、企画を始めれば間に合うことではある。とはいえ、 そもそもまだその年の RubyKaigi が終わる前から翌年のイベントの設計を開始するのは避けたい。

もっとも、このようにいくつ理由を重ねたところで、「最後」にする理由としては今ひとつ弱い。 多少やり方を変えたところで、別にそのまま続けても悪いことではないはずである。 やはり「最後」と言葉を選んだのは、そこに特別な「力」をそこに込めたいという思いは否定できない。 思い返してみても、最初に RubyKaigi を開催するときは、 「これが最後になっても後悔しないように」と繰り返し言っていたような記憶がある。 その意味では、初心に戻ろうとしている、とも言える。

まつもとさんはオープンソースの開発をサメにたとえて、常に動き続けなければ いけないことを何度が触れていた。これはオープンソースソフトウェア開発に限らず、 他に何のつながりもないボランタリな力を集約して何かを創り上げる、 という活動であれば、どのようなものにでも当てはまるように思う。 RubyKaigi を運営している私たちも、常に動き続けなければ、停滞してしまう恐れを常に感じている。 そしてその動き続けることに対し、これまでの歴史、言わば「互換性」が、何かしら 制約に感じてしまうことがある。

前述の通り、日本 Ruby の会の法人化は、RubyKaigi ではないにせよ、大きなイベント開催の 母体となりうる組織にするための布石であることは言を俟たない。 しかしながら、それは一方で、今までの RubyKaigi の雰囲気、イベント自体の性格であった、 一種の手作り感というか、スタッフと参加者とでボトムアップに作り上げてきたものを、 少なくとも一部は捨て去ることに他ならない。

何より「これは RubyKaigi ぽくないよね」というような考えで、新しいものを捨ててしまうことは避けたい。 例えば、東京以外の、具体的にどこということはないけれど地方で、地域的なイベントではなく 国内全体を相手にした合宿型のイベントを行うとしてみよう。それはきっと今までに得られていない 新しい価値を生み出すだろう。しかしながら、逆に今までにあったもの、例えば「規模」や、 多くのスピーカーや、あるいは海外からの参加者に対しては大きなハードルになりかねない。 以前であればできたことができなくなってしまう。そうした場合、どこかしら「後退」したような、 後ろめたいものが生まれるのが怖い。

RubyKaigi というイベントは大きなものに育った。そしてそれは、イベント自体が価値を 持っているように感じてくる。それらは独立し、何かしら守るべきものであるかのように 感じられ、その一部を損ねることは何かやましいことをしているようにさえ感じられるかもしれない。

しかしながら、本来そのようなものではないはずである。あくまで RubyKaigi の主体は Ruby と Rubyist であり、 RubyKaigi のための RubyKaigi、というものは何かを致命的に誤解しているように思える。 RubyKaigi にとっては、RubyKaigi はあくまで手段であるべきであろう。守るべき価値、 築くべき価値は、それ自体ではなく別のところにあるのではないか。 あるいは RubyKaigi ではないイベントを並行して作り上げることができればよいのかもしれないが、 現状の体制ではそれは難しい。どちらかを選ぶのであれば、続けてきた価値を維持を望むよりも、 未来に向けて開いておきたい。

 「そうね。すべてのものにはおわりがあって。けれど――何でも、
 一度はおわらないと、次に始めることはできないのよね。」(同)

改めて読み直してみても、「Ruby 会議はそろそろ一回終わってみるべき*1」という言葉は実に含蓄のある言葉だと思う。 とりわけ「一回」という言葉が深い。これは二回、三回という可能性を含みとして持っている。 一見矛盾した言葉だが、それもまた真実を照らしているのだろう。

「こぼれた水は、また汲めばいい」という先人の言葉もある。まずは最後の RubyKaigi に向けて、 持てるものを全て発揮できるよう、力を尽くしつつ、多くの方々のご協力を乞う次第である。


更新日時:2011/01/15 14:44:52
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参照:[Rubyist Magazine 0031 号] [0039 号 巻頭言] [各号目次] [prep-0031]