0002 号 巻頭言

「そこそこ」を超えて

Rubyist Magazine 第2号をお届けする。

先日発刊した第1号は、幸いにも暖かな賛辞や 熱い期待や的確な批判や痛烈な罵倒や意味不明な煽りなど、 様々な反応をいただいた。光栄の至りである。 好意的な反応はたいへんうれしいものだが、 批判的な言及の中にも参考になるものがあった。 なかでも初心者向け記事の不足の指摘は耳に痛かった。 これに応じるかのように(実際には以前より予定に 上がっていたのだが)、今号ではだんさんによる 「Ruby ではじめるプログラミング」が掲載されている。 これは今まで Ruby について書かれた 多くの文章の中でも、もっとも初心者向けなものの 一つであるように思う。 連載第一回ということもあり、まだ評価を下すのは 気が早いのかもしれないが、 だんさんの尽力にまずは拍手で応えたい。

それにつけても 2ちゃんねるやスラッシュドットを 見て気になったのは、Ruby を無闇に貶めたり、 あるいはその反対に Ruby 以外の言語を無闇に貶めたり するような発言が相変わらず多いことである。 「煽りと喧嘩はネット非モテ系の華」とはよく言われる ことだが(というのはもちろん嘘だが)、それにしてもねえ。 とは言うものの、私としてはこの手の荒れたスレッドに 乗り込んでいってはバトルを繰り広げるほど若くもなく、 かといって昏々とお説教をするほど老いているわけでもなく、 はたまた超然とあるいは生暖かい目で見守っていられるほど 人間が出来ているわけでもない。

というわけで、今回はとある Python 使いの方のことを書いて みたい。無論、称賛するためである。


Ruby の会発足の前夜になる 8月7日、Lightweight Language Weekend 2004 の第一日目の夜も更けた頃、LLW に参加された Rubyist たちにそれ以外の方々も加わって、三次会に行った。 三次会に集まった面子のうちの多くは Rubyist だったのだが、 部屋の奥の一角には Python ユーザの方も数名集まっていた。 私にとっては Python ユーザの方と会うのはめったにない機会でも あったので、その輪の中に加わり、いろいろな話をうかがったのだが、 中でも印象に残っていることは、増田さんという方が話されていた、 ドキュメントのクオリティのことだった。

増田さんは大阪の方で、その日ははるばる東京にいらして、 Python の Language Update の話をされた(らしい。 Language Update は残念ながらステージ裏にいたので、 本番当日の様子はちゃんと見ていないのだった)。 その彼は席上、このようなことを語っていた。――とりわけ オープンソースのドキュメントでは、そこそこの クオリティで満足してしまう人が多い。 そのため、そこそこ程度のドキュメントがオープンソース界隈に あふれている。しかし、それではいけない。 そこで「ないよりはまし」と安易に妥協してしまうのは間違っている。 そこそこではない、 立派なものを書くようもっと努力しなければならない。

――細かい言葉は残念ながら覚えていないし、 もしかしたら真意を取り違えているかもしれないが、 低いクオリティのドキュメントが氾濫している現状を強く憂い、 そのようなものを許さない、 という氏の熱い意思に圧倒されたのははっきりと覚えている。 私の場合、多少クオリティが低くても「ないよりはまし」と 安直な方向に考えてしまいがちになるのだが、 そのような甘えを認めない、強い言葉だった。

このような強い意見と意思を持つ方が、ドキュメンテーション 活動の中心にいて、実際に活動されているということは、 なんと頼もしいことだろう、とうらやましくなった。 Python という言語は、なんとなくかっちりとした印象がある のだが、その印象の背後にあるのは冷徹な思考などではなく、 むしろ熱い思いなのかもしれない、とも感じられた。

さて、本誌はどうだろうか? 「そこそこ」以上のものに なりえているだろうか? 幸い、多くの知識ある執筆者の方に加え、 内容のチェックを行ってくださっている方々もいらっしゃるので、 単なる書きっぱなしの文章よりは洗練されているはずだが、 贔屓目なところは否めない。前号に引き続き、 読者諸賢の率直な評価をいただければ幸いである。

(るびま編集長 高橋征義)