RubyKaigi2010 後の角谷さん・島田さんインタビュー

はじめに

RubyKaigi2010 では――繰り返します。RubyKaigi2010 では (RubyKaigi2011ではありません) 、gihyo.jp での RubyKaigi2010 のレポートが日々更新されていました。本来はそこに RubyKaigi 2010 開催終了後にインタビューを掲載する予定でしたが、作業の大幅な遅延により今号のるびまへ掲載します。語り手は RubyKaigi2010 の運営委員長 (角谷さん) と運営委員長補佐 (島田さん) 、聞き手は RubyKaigi 2010 の KaigiFreaks レポート班と gihyo.jp 編集部です。 お楽しみください。

本来このインタビューは gihyo.jp に掲載するために行なわれたものですが、gihyo.jp さんの配慮によりるびまに掲載することにご協力いただきました。ありがとうございます。

インタビュー

聞き手
gihyo.jp 編集部、KaigiFreaks レポート班 (赤松祐希さん, 大和田純さん, すがわらまさのりさん, 白土慧さん, 三村益隆さん)
語り手
角谷さん、島田さん
日にち
2010 年 9 月 15 日
場所
椿屋珈琲店 新宿茶寮

目次

RubyKaigi2010 の感想

11_original.jpg 三村 まずは RubyKaigi2010 が終わっての感想を率直に聞かせてください。

角谷 会期が無事に終わった。まだ残務はあるけど、最後までつつがなく運営できて、なんとか撤収までやれたなあ、というのが率直な感想。マズかったのは、撤収のときにちょっと片づけすぎて、捨てちゃいけないものまで捨てようとしてて、ゴミ袋を漁ってしまったことぐらいかな。

島田 感想か……複雑な気分なのでまだよくわかんない。ただ、イベントとしては、RubyKaigi2007 の時に Dave Thomas から出された宿題にイベント全体で答えを出せた気がします。

Dave Thomas からの宿題

—- Dave Thomas の宿題とは?

島田 RubyKaigi2007 のときに Dave Thomas が基調講演で言っていたことで、「新しい人たちがコミュニティに来るから、そこで断絶してしまうのではなく、ちゃんと迎え入れて、かつ Ruby らしいやりかたで包んで、新しい人も古い人もやっていけるような道を探しなさい」と。

角谷 補足すると、「今までは Ruby のコミュニティは Ruby が好きな人たちだけで集まって仲良く暮らしていた。それで幸せになれた人たちがいる。まあ、私や島田さんもそういう人たちの一人だと思っていい。でも 2007 年以降、 Ruby のコミュニティもどんどん大きくなっていくだろう、と。そうすると、これまでとは違った、色んな人が来るようになる。そのときに、僕らはどうすればいいのか」というのが Dave の問いかけだった。そして「新しく来た人たちに僕らのやり方を見せて、彼らを迎え入れなきゃならない。その準備をしろ」と。

Dave が言ったことはお話としてはわかる。でも、具体的に僕らは何をどうすればいいのかなあ、というのが見えなかった。だからそれを「宿題」だと捉えて、RubyKaigi 2008 以降はその宿題のことも考えながら、だんだん大きくなっていく RubyKaigi を運営していた。2008、2009 と少しずつ色々なものを積み重ねていって、2010 で一つの形になったかなあ、という気がしている。そういう意味では Dave の宿題を片付けられたといえるかもしれない。

島田 といっても、会期中はそんな気は全然しなかったんだけど、RubyKaigi2010 が終わって 1 週間ぐらい経ってみると「宿題を片付けられたのかもしれないなあ」ってだんだん思えるようになってきた。

Conflicts and Resolutions

角谷 単独のカンファレンスとしても、結果的にテーマともうまいこと合った中身になった思う。テーマっていうのは「Conflicts and Resolutions」のことで、色々な衝突と色々な解決があって。井上さんが RubyKaigi 2010 の後に御自身のブログにまとめてくれてたけど、あんなに色んな軸があったとは事前に思ってなかった。「英語と日本語」「ホビーとビジネス」「 before Rails と Post Rails 」。色んな衝突の軸があったんだなあ、と感心した。

ひょっとしたら実行委員長の高橋さんはこうした軸も含めて事前に考えていたのかもしれないけど、運営チームではそんなに突っ込んで話はしてこなかった。「なんだか今後はひとくちにRubyを使っている、といっても色々とバラバラになっていくかもしれない感じはするよね」程度の空気は共有していたと思いますが、CFP (Call for Presentation, RubyKaigi で発表を公募すること) に応募してきた個別の発表それぞれが、テーマに沿うことを最重要視していたわけでもないし、実は選考する実行委員の側も、選考にあたってはさほど重視していない。どれを通すか迷ったときには、よりテーマに沿ってそうなほうを選ぶけど。

大和田 運営 メーリングリスト でもあんまりそういう話してませんでしたよね。

角谷 運営と準備のことで頭がいっぱいなので……。

大和田 gihyo.jp の当日レポートを読んでると「テーマに沿った内容でした」というような感想がいくつかあったと思うんですけど、当日レポート班の人は何かテーマを強く意識することってありました?

三村 テーマについて紹介を書いた直前レポートぐらいですね。

赤松 毎年の RubyKaigi のテーマってどういう風に決まるんですか?

角谷 私が「来年この日に RubyKaigi をやろうと思ったら、この日に開催趣意書がないとマズい」という段取りで設定した締切日に、高橋さんがポーンと出してくるんですよ。毎年。

大和田 ポーンとあれが出せるのはすごいですね。

角谷 毎年、高橋さんが開催趣意書とテーマをポーンと出してきたら RubyKaigi のプロジェクトはキックオフされる。運営チームの私としては、そのテーマをどれだけうまく実装できるかがミッションになります。テーマが乗っかる器をうまく準備できるかどうかの勝負。

大和田 個人的には RubyKaigi 2009 の方が Conflicts の話が多かった気がしました。 2010 は Resolution の話のが多かったような気がします。Conflicts and Resolution と、テーマに Resolution まで含めているからかもしれませんが、衝突してるだけじゃないよねって話が多かった印象が残ってます。 2009 は色々衝突があるってだけで終わってい た。たとえば Web アプリケーションフレームワークでいえば、Rails も Merb もあるし、 Ramaze の作者が一般参加者としてシレっと参加していたり。ところが、2010 では Rails3 でどこも丸く収まった感じで。「私たち結婚することになりました」みたいな。

RubyKaigi の外だったものへ歩み寄る

16_original.jpg 島田 RubyKaigi 2010 で、去年の 2009 から伸ばしたものにはたとえば iRubyKaigi 20101 があります。

角谷 2009 では、 iRubyKaigi は伊藤さんが(言葉は悪いですが)勝手につくって公開した。とてもありがたくは思っているのですが、一方では「そんな便利なもの作るんだったら喜んで協力するんだから事前に声かけてよ!」という思いもあった。そこで 2010 では「rubykaigi.org からどういう情報を出せばもっと実装しやすくなりますか?」というやりとりを何度か重ねて、その結果を踏まえて今年の rubykaigi.org を実装した。で、伊藤さんは iRubyKaigi2010 は Apple Store に申請してくれたので、2009 よりも多くの人の手に渡るようになった。たださん2がうっかり Apple 製品を触わってしまうぐらいのインパクトがあって。すると、どこからともなく――というのは冗談で、takkaw が Android 版の aRubyKaigi2010 を がつくってくれて。これがまた無駄に高機能ですごかった。

島田 2009 のときには、参加者の方から勝手にやってもらえたけど、2010 では実行委員側から歩み寄ったらどうなるかやってみようという話をした。それで実際やってみたらあれができてきて。iRubyKaigi と aRubyKaigi は、部屋から溢れるほど盛況だった企画と同じくらいうまくいったんじゃないかなと思っています。

他にも 2010 ではこれまではいち参加者だった人が、もう一歩進んで Contribution できるようなことを、いろんな場面で増やしました。個人スポンサーという形で Contribution の受け皿を用意したり、企画という形で発表の形にとらわれない RubyKaigi への参加の形を作ってみたりしました。

角谷 個人スポンサーではない企業スポンサーは 2009 までの RubyKaigi にもありました。2010 では、「スポンサーされること」についても実行委員のあいだで改めて議論をした。2009 までは「イベントってスポンサーとか付いてるよね。ブースもあるよね。いっぺんやってみよっか」みたいな感じで何となくやっていた感があった。その結果、 2009 のスポンサーブースのやり方はあまり良くなかった。発表会場と同じ部屋だったので、発表中はブースの周りで会話がしにくかったり、人もそれほど集まらなかったりして、スポンサーにも参加者にも発表者にもあまり益がなかった。だから 2010 を始めるときには、原点に立ち戻って考えなおした。「そもそも RubyKaigi のスポンサーって何なんだ」と。その議論の過程で出てきた反省点として「僕らはスポンサー企業の担当者ときちんと話をできてないよね」というのがあって。例えば Ricoh さんは 2008 から支援いただいてるのに、事務的なこと以上のコミュニケーションはお世辞にも多かったとはいえない状況だった。 Ricoh さんが 3 年間も続けてスポンサーしてくれているのはどういう思いからなのか? これに誰も実行委員は回答できない。なので、2010 の準備期間中に先方へ話をうかがいに行って、お互いどういうことができたら嬉しいのか、という話をしました。歩み寄りというと語弊があるかもしれませんが、実行委員とスポンサーという形だけじゃなくて、同じ RubyKaigi の参加者として一緒に何ができるだろうか、という話をしました。

島田 Ricoh さんはたとえば壁紙ダウンロードとかっていう、ブースじゃない Ricoh さんなりのやり方でやるし、Cookpad さんは Cookpad さんらしいイベントをやるし、みんな自分たちらしいやり方で、Contribution をしていただけました。

角谷 2010 からスポンサーセッションをなくしたのもそうした議論の結果です。

—- スポンサーセッションなくしたしブースもなくした。そうすると、スポンサーにとっては何が参加するモチベーションだったんでしょう?

角谷 それは企業さんそれぞれ固有のモチベーションがあるんじゃないですかね。私たちは RubyKaigi がどういうカンファレンスなのかは説明できますが、そこに、とある企業さんが協賛する理由を説明することはできません。なので、参加者に話を聞いてもらいたい企業さんには「じゃあ CFP に応募してください」、参加者とやりとりしたいのであれば「じゃあ企画を出してください」という枠組みにしました。

島田 たとえスポンサー企業の方であろうとも、発表するからには他の応募者と同じ土俵でコンテンツを競いましょう、と。スポンサーセッションという優遇枠じゃなくて、本気で他の Rubyist たちに負けないレベルの発表内容を考えてきてください、と。

—- 落とすかもしれませんよ、と。

角谷 もちろん。

島田 お互い本気でやりましょうというメッセージにしたかった。

角谷 もう少し補足すると、スポンサー企業さんにも、RubyKaigi に来る参加者にとっては何が嬉しいのかを一緒に考えてみたかった。まあ、きちんとやりきれたというと返答に困るところもあるのですが、2009 ではなんとなくこれまでの習慣でやってしまっていたスポンサーシップという枠組みを、もう一度「これは RubyKaigi を一番楽しみにしている自分たちにとってどういう意味があるんだろうね」ということを考え直した。このことは私たちにとっては大きな収穫です。

海外との関わり方

大和田 2009 では最初に「海外をがんばる」というのがあって、 2010 は 2009 でやったことをもっとしっかりやったぞと。では、海外の発表者や参加者に対して、さらに上の試みとか取り組みはあったんですか?

角谷 アナウンスを日本語と英語でなるべく同じタイミングにするように心がけたり、海外からの参加者向けのメーリングリストは良くなったんじゃないかな。メーリングリストは 2009 でも作ったけど、あまり活用できなかった。2010 では「メーリングリストに入ってください」とか「こういう人が来てるんですけど」というのをもう少し丁寧にやりました。CFP への応募にあたってもセッション概要もなるべく英語の説明をください、というかたちにした。

英語の情報を求めるようにしたことについては「英語話者を優遇し過ぎなんじゃないの」とか「日本でやるのにそこまで英語を求めるのはどうか」という意見はいくつも見かけました。でも、RubyKaigi の情報には日本語でしかアクセスできないから、という理由だけで非日本人にスルーされてしまうのは勿体無いと思ってます。海外の人たちにも「日本で日本人の Rubyist がこういうことやってるんだよ」ということぐらいは伝わるようにしたかった。「RubyKaigi という Ruby のカンファレンスが日本で開催されていて、こういうことをやってるんだ」ということを伝えたかった。RubyKaigi の国際化については、特にオーストラリアの人たちがすごく喜んでくれているのが嬉しいです。

国際化をがんばったメリットは他にもあって、日本に住んでる非日本人に RubyKaigi が届いたという手応えもありました。彼らは同じ日本に住んでいるけれども「ガイジン」3というだけで私たち日本人とはコミュニティが分断されてしまっている。彼らは日本にいても摂取している Ruby の情報は基本的には英語で、日本語の情報はそう多く入ってないのかもしれない。日本にいながらにしてもっと大きな Ruby コミュニティにつながっている人たちなんだと思う。

それが、RubyKaigi で英語の情報を出していったことで、そういう人たちと日本人たちがお互いに見えるようになるという効果は想像以上に大きんじゃないかなあと思ってます。たとえば、Paul McMahon さんの Tokyo Ruby Meetup みたいなコミュニティが始まったりとか――これはもうほんとすばらしいですね。他にも、John Mettrauxさん――彼は RubyKaigi 2007 のスピーカーでもあるんですが、彼が Yokohama.rb のことを応援してくれていたりとか、RubyKaigi にまつわる tweet をそっと RT してくれたりとか、とても助けてもらってます。

大和田 シャイな感じでサポートしてくれるんですね。

角谷 海外へ日本の Ruby の情報を届ける、というのを手伝ってくれる、日本在住の「ガイジン」がいてくれてるんですよ。レオ4なんかがその筆頭ですが—-日本語が流暢になりすぎてときどき忘れるけど、彼もガイジンだからね。そういう非日本人の Rubyist たちとつながるきっかけができたのは 2010 の大きな成果なんじゃないかなあ。「英語で情報を!」とかいうと、すぐ「海外に向けて日本の成果を!」みたいな話になりがちですが、ごく身近な人たちとのつながりができた、というのが良かった。まあ、やれる範囲でやれるとこまででいいんですけど、お互いにランゲージバリアがあるという前提でうまくやっていけるといいなあ、と思ってます。

企画部屋

—- 企画部屋の話を聞かせてください。私が思ったのは企画部屋が増えて、2009 は RegionalRubyKaigi についての話をする会議とか、 tDiary 会議とか、運営に近い人がやってますという企画が中心だったんですけど、2010 は参加者が立ち上げる企画中心になったように見えました。

島田 いや、企画は元々が参加者が中心ですよ。2009 では会期中に突然始まったものだったので、2010 では準備も含めてもっとしっかりやったというのが実情です。

—- 参加者の見たいものが増えて――「見たい」と言うとちょっと受動的な言い方になってしまいますが、参加者の色んなニーズに答えられた結果、今年の RubyKaigi が 2009 よりも良かった、という感想につながってるということはありませんか? ただ講演を聞くだけじゃなく「Kaigi」もできてるから、参加者がより RubyKaigi にコミット出来た感覚を持てたんじゃないかと思うのですが、いかがでしょう。

角谷 ただ行って話を聞いて帰ってきただけじゃない体験が出来たんじゃないかってことですよね? さっきも話しましたが、あの「企画」という取り組みは、2009 の会場の押さえかたでたまたま始まったものだった。2009 の会場で、借りるには借りたけど参加者の動線を考えると使いづらい部屋があったので「どこかミーティングできるような場所がないか」と聞かれたから、勝手に使ってもらっただけ。

でも、そこに参加していた人たちが本当に楽しそうだったので、2010 ではあれをもっとみんなの目につくところでやったらどうなるだろう、準備もちゃんとやってみよう、実行委員会がもっとちゃんとサポートして形にしてみたらどうなるだろうか、と。2010 の会場では 2F を端から端まで全部貸し切ったので、廊下も使えるようになった。じゃあ人の動線も完璧だ、と。

ただし、借りた部屋のコンテンツは実行委員側では何にも考えてない。だから「みんな場所はあるからコンテンツを出してください」と。なので、せっかく応募してもらったということもあるので企画はすべて、何らかのかたちでプログラムに組み込みました。講演についてはいつも通り、たくさん reject する結果になってしまいましたが、企画はぜんぶ活かそう、と。

島田 準備している段階では、もっとこじんまりとしちゃうかなぁと心配もしていたんですが、終わってみればどの企画も人が入って、なんか良かったなぁと。 企画が入ってない時間帯でも、部屋が空いている隙に集まってなんかミーティングやってたりして、すごく良かったです。2009 では、ホール内に電源を用意できなかったので、廊下に給電所を用意した。すると、海外の人なんかは講演を聞かないで、そこで集まって話をしてる。ああいうのが増えるといいんだけど、給電所トークはある程度、顔見知り同士の対話が多くなってしまう。でも企画だと、話題があってそこに参加するかたちだから、周囲に知らない人がいなくても参加しやすかったのかな、と。ドアも開いているので、通りがかって「ちょっと見ていこうかな」と思ったら、入っていける。

—- 入って行きやすい感じにした?

角谷 はい。「企画をやってる間もドアは閉めない」という運用にしたので。

島田 2009 だとまだどこかしらのコミュニティに属している人同士じゃないとたくさん会話できませんでしたが、2010 では「企画」というお題があったおかげで、それをきっかけに話し相手が増えた人もいるんじゃないかなと思ってます。

角谷 同じ RubyKaigi というイベントに各地から集まってくるんだし、せっかく人が集っているんだから、色々話をしようよ、Hack しようよという流れが当たり前のようにでてくるようになったのが 2009 の頃からかなあ、という印象を持ってます。需要がありそうに見えたので、 2010 はそれをもっと伸ばしてみたかった。フラッと参加して、フラッと抜けられるようなのを。「聞きたいセッションあるから抜けまーす」みたいな気軽さで参加できたらいいな、と。

島田 実際にはその逆で「あのセッション聞きたかったのに、この企画が楽しかったから気づいたら終わっちゃってた」とかいう声も聞きました。「あっちに聞きに行きたいのに、こっちから抜けるのがつらい」みたいな。

大和田 潜在的にそういった体験に需要があったと解釈してよいのでしょうか?

角谷、島田 どうだろう。わからないねぇ。

角谷 「いけるかな?」とは思ってましたが、確信はなかった。だって、放っといたらみんなが自分たちでそういう活動をし始めるか、というと……よくわからない。なんていうか、その、いわゆるRubyとか好きな人とかは――その……

大和田 シャイな?

角谷 そう、シャイな人が多い (笑)

島田 企画も、Ruby じゃない話がそれなりにあったのもよかったのかもしれない。vim とか「海外で暮らす Rubyist だけど何か聞きたいことある?」とか、クックパッドさんの時間とか、参加者も声を出しやすい企画が多かったのかも。「こういう場合はどうなの?」とか聞きやすかったのかもしれない。

大和田 となると、今、Rubyist にそういった需要があるということは、 2011 での企画はどうなりそうかというのが気になるのですが。 2010 は会場が良かったですよね。企画部屋が盛り上ってそうな様子が遠くからでも見えたり、色んな企画が並んでやってるとか。これがもしフロアが別れて、とかになると違ったものになるんじゃないかなあ、と。

角谷 んー。何かしらやるんじゃない? どうやるかのは、今はさっぱりわかんないけど。

島田 その会場でやれる RubyKaigi のかたちっていうのが、ちゃんとあるんですよ。2010 は、ああいう場所でやれたからああなっただけで、あの場所じゃなきゃ企画もできなかったっていうわけじゃないと思います。

個人スポンサー

三村 2010 の新たな挑戦として、個人スポンサーがありましたが、どういう人たちをターゲットにしていたとか、想定はあったんですか?

角谷 いえ、全然。わかんないから実験してみた。というのも、RubyKaigi のチケットの価格については参加者もスピーカーも実行委員も色んな意見や考え方があって、よく話題になっていました。「安すぎる」とか、もっと料金を高くして、外部の業者を使って実行委員が楽になるようにすべきでは、とか。実行委員のなかでもよく議論になっていました。ただ、RubyKaigi ももうそれなりに「RubyKaigi ってこういうもの」というイメージや期待みたいものができつつあるので、失敗しづらくなってきている。だから、参加料金みたいな根幹に関わるところはあまりドラスティックに変えづらかった。で、海外向けにチケット売るのを実現するために、2009 で PayPal を採用して、使いかたを調べたら、色々できることがわかってきた。ローソンチケットだとできないけど、いまは PayPal というインフラも手に入ったので、じゃあ 2010 では試しに個人スポンサーを募集してみたらどうなるだろう、と。

個人スポンサーを試してみたかった理由は他にもあって、RubyKaigi って「参加したい」と思ってくれる人が増えつづけているなかでやっているので、年々規模が大きくなってきている。そうなると、たくさんの人が入るような会場が必要になる。大きい会場は当然、費用も高くなる。かといって、経済情勢的にも企業スポンサーにお金を出してもらうことを前提にしたカンファレンス設計はリスクがある。スポンサーからいただく金額を増やして、代わりにスポンサーすることのメリットをもっと大きくするという作戦もあるけど、そういう大口スポンサーにとっての期待に見合うだけの成果にコミットメントできるかというと、現状のボランティアベースの体制では厳しい。

島田 もう一つには、高橋さんの方針として「来たい人が誰でも来れる RubyKaigi」というのもあります。そこで参加費用そのものはあまり高くすることなしに、規模に応じて増えていく支出とのギャップを埋めるのにどうすればいいか。「だったら、出したい人に出したいだけの額を出してもらえればいいんじゃない? どれだけ集まるかわからないけど」というのを形にしたのが個人スポンサーでした。

角谷 個人スポンサーになったからといって特別な特典は無い。RubyKaigi は言ってみれば日本の Ruby コミュニティのお祭りだから、町内会のお祭りのときの提灯とか札みたいなノリで名前だけ個人スポンサーとして掲示される、という実験をしたら5、みんなにどれぐらいの金額を出してもらえるんだろうか、と。まさに実験ですね。

—- 最終的に何人ぐらいあつまったんですか?

角谷 70人ぐらいです。純粋な個人スポンサーだけじゃなくて、企業スポンサーと併せて出してくれている方もいれば、スピーカーいれば、Rubyのコミッタの方もいる。海外の人で個人スポンサーになっくれた方もいますし。あとは匿名希望の方がいたり。ほんとにいろんな人が個人スポンサーになってくれました。ありがたいことです。

三村 そういった意味だと成功した?

角谷 一番上のランクの Ruby スポンサーの企業から出してもらった金額の合計を越える額が集まった。RubyKaigi には Ruby スポンサー、Platinum スポンサー、Gold スポンサー、個人スポンサーとあるわけですが、2010 での一番大口のスポンサーは個人スポンサーのみなさん。企業スポンサーにも支援してもらうけど、参加者たちが支える、というかたちになったのはとても良かったと思います。

ボランティアのイベントをどう続けていくか

終わってみるべき

三村 2009 で卜部さん6の「終わってみるべき」がありましたが、運営にあたって意識はされましたか? 運営が辛そうとか、スタッフが辛そうとか言ったことも書かれてましたが。

島田 なんか意識しましたっけ?

角谷 「終わってみるべき」って言われちゃうようなやり方は脱したいなあ、とかもうちょっとましなレベルでの運営にしたいなあ、とは意識していましたた。

—- 2010 のスタッフの数はどれぐらいなんでしたっけ。

角谷 だいたい 50 人ぐらいですかね。これまでで一番多い。ボランティアのイベントをどう続けていくかというと――よく訓練をされた少数の人達がコミットメントして回していく、っていうやり方だとスケールするのかが疑問なんですよ。だから、色んな人を巻きこんで、その人だけが抱え込んでしまわないようにして行く、冗長性を持たせるやり方しかないんじゃないか、という話を 2010 の準備のときに島田さんと話をしていて。これが「終わってみるべき」とか「燃えつきちゃうんじゃないか」への回答のひとつになるんじゃないか、と。

そこで 2010 では、これまでなら中心に近い人らが一人でいくつも重ねて持ってた仕事に、名前を付けて分けるようにした。仕事に名前がついたから、これまでとは別の人にやってもらえる。で、その仕事をする人たちを独立したチームにする。たとえば「コミニュケーションデザイン」とか、受付も「Team Welcome」と呼んでみたりとか、KaigiFreaks も班分けして班長を置いてみたりとか。

チームに分けて人が増えるとコミュニケーションしないといけない。良い状況なのか良くない状況なのかを伝えないといけない。RubyKaigiの運営チームは、分散してるパートタイムのチームだから。その状況から「取り急ぎ、dump します」というプラクティスが生まれた。まだ決まってないし、課題とか提案にもなってなくて、どうしたらいいかわからないんだけど、なんかこんな気がする、みたいなのをメーリングリストに投げる。今すぐどうこうできるということじゃなくても、とにかく自分から見えている状況を伝えようとする。自分の状況を見せていく――といっても、作業の進捗とかじゃなくて、気分とか気持ちとか心配していること、心配になりそうな気がすることとか不安とか、そういったものをどんどん出していく。

島田 詳細に自分がこういうタスクを抱えていてこういう状況になってるんだけど、今は出来ないって報告することもあれば、あまり緊急じゃないからいつでもやれば出来るんだけど、気になるから「こういう仕事があってこういう風にやるんだけど誰かやってくれませんか?」と運営のメーリングリストに投げるとかやっていた。皆の中でギャップがあるところをコミュニケーションで埋めていかなければいけないっていうのをぼくは割と意識的にメールを書いていたので長くなったり、メールの流量も増えて。

角谷 運営メーリングリストが爆発するってのは、まあ名物みたいなものだからねえ。2010 は 5,500 通ぐらい。

バラしたタスクを全部集めても RubyKaigi じゃない

毎年 ITS の運用に失敗している

大和田 スタッフのミーティングで会期中のスタッフ弁当の手配がなかなか進まない状況に対して「毎年なんでこうなるんだ」って角谷さんがボヤいていましたが、あれは何か背景があるんですか?

角谷 弁当って、めんどくさいんですよね。いくつ頼むとか、いくらぐらいお金がかかるとか……あと、電話しないといけない。えいやー、でやってしまえばできるんですが、1人の人が持てる心配ごとの量には上限があるから、1 つ 1 つは簡単だとしても、数がその人の許容値を超えちゃうと1つ1つをちゃんと出来なくなる。だから、1つでもいいからタスクをスタッフ同士で、チームとして分かちあうように出来るといいんだけどなあ、誰かやってれないかなあ、ということを、スタッフ弁当については毎年言ってるのに改善しない(笑)。

島田 RubyKaigi は毎年 ITS(Issue Tracking System;課題管理システム)をツールとして運用するのに失敗していて。角谷さんがよく言うのは、タスクを――たとえばお弁当について「お弁当を頼む」ってタスクを登録するのは簡単なんだけど、登録するだけじゃどうしようもない。誰かにそれをやってもらうには、コミニュケーションをとらないといけないんだ、と。ところが、ITS だとチケットとして登録した時点で、心配していた人はそれを課題として提出した気持ちになるけど、チケットがあるから、といってそれだけで仕事してもらえるわけじゃない。だから、 ITS が前面に出るとよくない、と。

大和田 毎週、メーリングリストで「弁当どうなってますか、どうなってますか」と確認したところで物事は進まなくて、弁当を頼むことの目的とか意義を話すところから始めないといけないということですか。

島田 2010 ではそういう細かいやり取りをするようにしました。 そしたらメーリングリストの流量がかなり増えてしまった。

白土 2009 まではなんかそういうシステムを使ってってやってたんですか?

島田 2008 が Remenber The Milk で、2009 は Redmine。何にしても最後までちゃんと使えなかった。たださんが「プロジェクトマネージャ」としてかなりしっかり見てくれたからなんとかやれたという感じです。

やる事とやる事の間をどう繋ぐか

角谷 「RubyKaigi は終わりが決まってるイベントだから、基本的にはWBSで分解できるはず」という仮説を持たせて、工程ごとにもっとアクションと成果物を決めてやればできるんじゃないか、という仮説を立てて、 2009 のときにそれを試してみたんですよ。その途中で気づいたんですが、作業を分解しても RubyKaigi は出来ない。RubyKaigi の現場の3日間の感じにならない。バラしたタスクを全部集めてもそれは RubyKaigi じゃないんですよ。

RubyKaigi っていうイベントをタスクに切り刻んでもそれは RubyKaigi じゃないんです――って、まだうまく言えないけど、やる事とやる事の間をどう繋ぐかとか、そこにスタッフとして関わることで得られるフィードバックがあって、それが何重にも重なった何かが RubyKaigi になるという感覚をもっている。

大和田 今書いているるびまの RubyKaigi の裏側の記事がそういう形になってて、だから読んでて楽しいのかな。各スタッフ班の作業を箇条書きとかで書くんじゃなくて、大変なこととか楽しいこととかも丁書いてあって、それがよく出来てるなぁって。レポート班のところは赤松さんが書いてくれてて、他の班のを読んだスタッフの人達が自分たちの班も書きましたってのが増えてきてて。

角谷 なので、私の意識としては、RubyKaigi の準備というのは不安な感情を処理して別の感情に変換する過程なんです。「どうなってるんだ?」という不安が「ああ、いついつ頃にこうなりそうなのね」という少しやわらいだ不安になる。1年間ひたすら感情を処理をし続けてる感じです。

最後の RubyKaigi

RubyKaigi2011 の構想

三村 2011年は、現時点でこうしていこうって考えているのがある?

角谷 ない (キリッ 最後っていうテーマだけは決まっている。あとは何もかも未定。

白土 角谷さんが 高橋さんの RubyKaigi 終わるよ宣言、つまりはっきりと RubyKaigi が終わるって聞いたのは、高橋さんのクロージングの時が初めてだったんですか?

角谷 え? どうして?

島田 ふつうに運営のメーリングリストに流れてましたよ。

白土 いや、角谷さんがすごく驚いていたように見えたので。

角谷 ミーティングでも話には出てましたよ。今の RubyKaigi の枠組みで都内で大規模にやろうと思うと、会場探しは1年以上前から動かないといけない。2010 は準備が出遅れてしまったので、時期も 8 月終わりで、場所も都内じゃなくてつくばになった。なので、2011 は東京でやりたいから、2010年の7月前に「2011 年の 7 月にやります?」という話をしていたら、そのときに高橋さんが「いやぁ、やっぱり一回終わってみるべきじゃないですかねえ」みたいなことを言ってはいました。そのときはたとえ話と思ってたんだよな……。

「最終回だから最終回です」

白土 つまり RubyKaigi の高橋さんの宣言の前までは、心構えとか可能性としての「最終回」だった?

角谷 RubyKaigi は 2006 を 0 回目と考えるのが私にはしっくりくるんですね。最初の 2006 っていうのはほんとに何もわからず全部手探りで、とにかくやるだけやった。そういう意味でも 0回目。で、2006 が終わって後に「来年 RubyKaigi をやるの?」「やるとしたらどうやるの?」みたいな話をささださんのオフィスで高橋さんと長い時間、議論したんです。その結果、今の三役体制ができた。実行委員長、プログラム委員長、運営委員長の3つですね。実行委員長は、RubyKaigi を始める人。まあ、イベントの準備をどう始めるか、というやり方は色々あるとは思うんですけど、RubyKaigi はそういうやり方なんです。

RubyKaigi は、高橋さんが「来年はこういうテーマでやります」という趣意書を書くところから始まる。それを踏まえて、今回の会場はこのぐらいの大きさで、人はどれぐらい入れそうで、レイアウトはこういう風になってるから、どんなことがやれそうで、といった制約と折り合いをつけていくために話し合いを続けていく。で、RubyKaigi のプログラムで「こういうのやってみたいなあ」とか「こういうのどうだろう?」って意見を出すのがプログラム委員長。プログラムを最終的には「これでいいんじゃない」と決めるのも、プログラム委員長の仕事。運営は、その大枠に沿って会期までと会期中の段取りやオペレーションを設計して実装していく。

……と今話したようないわゆる RubyKaigi っぽい枠組みは実質的には 2007 が本当の始まりでした。で、その「1回目」のKeynoteが Dave Thomas。だから、RubyKaigi 2007 の運営に関わった人たちのなかに、あの講演に特別な思い入れのある人が多いのかもしれない。私とか島田さんとかね。

島田 ぼくは、RubyKaigi 2007 に当日スタッフとして参加したのが始まりでした。

角谷 2007 の最後に、Dave が残していったあの講演は「何か」だったんですよ。当時はよくわかんなかったけど。その「何か」に対して自分はどうしていけばいいんだろうなあ、と事あるごとに考えてました。私はあれを Dave からの「宿題」だと思って取り組んでいた。だから 2007 の次の 2008 では RubyConf を運営している人たちに来てほしいな、と思って Chad Fowler に声をかけた。

実は 2007 でも Chad には声をかけていたんだけど、その時は彼のスケジュールと合わなくて。2008 のときは、ついに参加してもらえたんだけど、講演は引き受けてもらえなかった。 2010 の Keynote の冒頭に Chad が言ってた「RubyKaigiで基調講演をすることの恐怖」ってやつだったのかな、と今ならわかります。自分のヒーローたちの前で Keynote をやる、っていうのは相当なプレッシャーだろうな、と。で、Chad がアメリカに帰ったあとにブログで「遠いと思ったけど、意外に日本は行ける距離だね」って書いてくれて

会期中にも 彼は「海外からは何人ぐらい来てるの?」って聞いてきた。私が「10人か20人かなぁ」って答えたら「来年は50だね」という来年の数値目標を与えてくれた(笑)2009 で国際化に力を入れたことと、この数値目標がまったく関係ないか、と言われたら嘘になる。もっと海外の人に来てもらおうと思ったら、ローソンチケットじゃなくて PayPal にしようとか、英語のページが必要だ、とか。2009 ではそれがうまくいったから「じゃあ 2010 は東京でもっと規模を大きくしてもっと海外の人たちに来てもらおう」と。じゃあ、この次の 2011 ではどう取り組もうかな、もっと続けられる仕組みにしていかなきゃな、と思っていたら「次で終わりです」。えっ。

—- RubyKaigi が終わった後に twitter で高橋さんと角谷さんのやりとりのなかに「あれは額面通りうけとっていいんですか?なんかびっくりしました」みたいなやりとりがあったと思うんですけど。

角谷 ええ。

—- 結局、そのとき高橋さんがいっていたのを角谷さんも違ったようにうけとめていて、それが「額面通り」という発言になった?

角谷 そうです。「2011 で終わり」って言うけど、私は 2012 もやると思っていました。ただ、もう一度「RubyKaigi ってそもそも何だろうね」というところから考えなおして「もう一度、最初の RubyKaigi をやるとしたらどういうのを、誰が何をどうやるのか」というのを話すところからやるのかな、と思っていた。たとえば「高橋さんが実行委員長やるの?」とか、そういうところから考え直すのかな、と。そうした議論を踏まえて RubyKaigi 2012 をやると思っていた。つまり「たとえ話」としての最終回だと思っていた。

これはねえ時々、高橋さんがガチのモヒカンだということを忘れちゃうんですよね……甘いマスクに、柔和なマスクに騙されちゃうんだよな。高橋さん優しいからなぁって思ってたら、ふつうにモヒカンですからね。ハンドアックスを投げられる。「最終回だと言ったんだから最終回です」みたいな。

高橋さんのリーダーシップ

—- 島田さんとしては、高橋さんの「終わります」はどう受けとめられているんですか?

島田 あー終わるんだ、みたいな (笑)

島田 角谷さんと話しているのは、運営委員長の仕事は、高橋さんがやりたいっていうことをやれるかどうかの勝負なんだから、次回は高橋さんが「最後の RubyKaigi」をやりたいっていうんだから、それをやるんだろうな、と。

角谷 ここだけ聞くと「The 高橋」みたいなのがいて、ぼくらは言われたことを粛々とこなす、みたいな風に受け止められると心外なので補足しますが、誤解を恐れずに言えば、別に高橋さんのため「だけ」にやってるわけじゃない。RubyKaigi は Ruby コミュニティの動きが見えるようになる場なので。

大和田 普段はそんなに前に出てきませんもんね。運営のメーリングリストを見てても、高橋さんは本当に困ったときにでてくる印象ですね。

角谷 ジョーカー(切り札)だから。Ruby World Conference 2010 での高橋さんの講演の後に質問したんですよ。「コミュニティにかわわるときに何か気をつけていることがありますか?」って。そしたら「誰かがやろうとしていることにブレーキをかけないように気をつけている」と。「それをやるな」って言うのはよくないと。「いいぞもっとやれ」と言うべき、と。

RubyKaigi についても「こういうテーマを私が出しだとしたら、どうします? どうしてくれますか?」みたいなゲームが始まる感じなんだよなあ。毎年良いテーマを出してきますね、高橋さんは。

RubyKaigi2011 への意気込み

20_original.jpg 大和田 最後に、RubyKaigi2011 の意気込みを

島田 運営委員長をやりたいです――という覚悟を、札幌 Ruby 会議が終わるまでにしてきます7

角谷 コミュニケーションの作戦をもっと改善したいなあ、と思ってます。たとえば「参加してみようかなあ」と思っている人へのフォローだったり、「CFP に応募してみようかな?」と思っている人へのガイダンスだったり。他にもスポンサーとのやりとりとか、海外からの参加者とか、とにかく RubyKaigi に関わる人たちとの関わりを強くしていきたい。

大和田 角谷さんは「発表もしたい」という tweet をしてましたね

角谷 Timeless way of RubyKaigi、時を超えた RubyKaigi の道みたいな話をできるといいなあ。ぼくらが 5 年間やったことはなんだったのか、なにを考えたのか、RubyKaigiって何だったのか。無くなっちゃうとしても、Rubyist であるおまえらが集まって Ruby の話したいと思う場にある「何か」が “Timeless way” なんじゃないの、という話をしたいなあ。CFPに応募したら通るかなあ。

三村 島田さんは現時点では発表したいとかそういう意志は?

島田 最後の RubyKaigi なんだったら、Ruby 札幌としてなにかやりたいと思っている。Ruby 札幌としては RubyKaigi で何もやれてない。

なぜ Ruby 札幌なのかというと、ぼくが RubyKaigi2007 に当日スタッフとして参加した動機が、その直前に Ruby 札幌っていうコミュニティを始めたところだったから。ぼくはこれまでそういうコミュニティに属したことが一回もなくて、Ruby も始めたばかりで、うまい使い方とかは全くわかんなかった。だから「こういう所に参加すれば、Ruby のことがわかるんじゃないかな」と思って、初めて参加した東京のイベントが RubyKaigi 2007 の当日スタッフだった。その後は、RubyKaigi でもらったものを札幌にフィードバックして、札幌で得たものをまた RubyKaigi に恩返しする、というのを続けてきた。

だから次で RubyKaigi がおしまいなんだとしたら、札幌でやってきたことがこうだったんだよというのを、東京の RubyKaigi に来てくれたみなさんに報告したいなあと思っています。

—- とてもよいですね。

全員 ありがとうございました。


  1. RubyKaigi のための iPhone アプリ。2011 でも提供いただきました ( http://itosoft.blogspot.com/2011/07/irubykaigi11.html ) 

  2. tDiary のただただしさん。iPhoneを捨ててAndroidに乗り換えた 

  3. Tokyo Rubyist Meetupでは日本在住の非日本人Rubyistを表現するとき便宜的に”Gaijin People”と表現することが一度ならずある。 

  4. http://twitter.com/lcin 

  5. その後、2011 では rubykaigi.org に個人スポンサーとしてアイコンが掲載されるようになりました ( http://rubykaigi.org/2010/ja/Sponsors#individuals ) 。 

  6. その卜部さんも RubyKaigi2011 は実行委員 

  7. 当時は札幌 Ruby 会議で頭がいっぱいだけど、札幌が終われば今度は RubyKaigi2011 が島田さんの中で始まるということですね