0021 号 巻頭言

RubyKaigi の終わりと転回

Rubyist Magazine 第 21 号をお届けする。

今号は3周年記念号でもあり、「【三周年記念企画】 Rubyist Magazine へのたより」と「Rubyist Magazine 3 周年」、「0021 号 読者プレゼント」のほか、Ruby の歴史を語る上では外せない方の一人、石塚さんが Ruby 誕生秘話 (?) を語る「Rubyist Hotlinks 【第 20 回】 石塚圭樹さん」、Rails の速度改善のための手法として、Erubis の preprocess 機能を紹介する「Erubis の Preprocessing 機能を使って Ruby on Rails の View 層を高速化する」、IronRuby などには脇目も触れず、直接 MatzRuby の DLL を C# から叩く技を紹介する「C# と Ruby を連携させる」、ついに掲載される伝説の記事こと「スはスペックのス 【第 1 回】 RSpec の概要と、RSpec on Rails (モデル編)」、紳士のスポーツを Rubyist に紹介する新連載「るびまゴルフ 【第 1 回】」、いつもながらの丁寧な解説には頭が下がる西山さんが正規表現のオプションを紹介する「標準添付ライブラリ紹介 【第 14 回】 正規表現 (3)」、いろいろあって紹介が遅れたるびま本を青木さんが解説する「書籍紹介『Rubyist Magazine 出張版 正しい Ruby コードの書き方講座』」、言語好きには一度は触れて欲しい、一風変わった言語の Prolog をまつもとさんが紹介する「Rubyist のための他言語探訪 【第 13 回】 Prolog」、そして「0021-RubyNews」、「0021-RubyEventCheck」と、前号とは打って変わってボリュームを増やした構成となっている。


RubyKaigi2007 は好評のうちに無事幕を閉じた。 ……ということになっていればよかったのだが、 少なくとも運営サイドとしては単に会場の閉館時間までに退出することが終了なのではなく、 残務処理が終わってはじめて無事幕を閉じることができる。 その意味では、RubyKaigi2007 は、その残務処理のまとめもふりかえりも遅くなってしまっている。 動画配信も、諸事情のためまだ完了していない。 首を長くしている方々には非常に申し訳ないのだが、 今しばらくお待ちいただきたい。

そして RubyKaigi2008 である。

RubyKaigi2008 については、 先日 (遅ればせながら) 行われた RubyKaigi2007 の打ち上げの席や、 Ruby の会の理事会 ML や、 某氏の結婚式 (おめでとうございます!) の披露宴の二次会や、 それ以外の場所等、クローズドな場所で断片的に語ってきた。 実際のところ、まだ明確な形として出せるものにはなっていなく、 また (これまた申し訳ないのだが) あらゆる意味で公式の声明は出せる状態ではない。 とはいえ、2006 年、2007 年の RubyKaigi を進めてきた者の一人として、 思うところを記しておきたい。

率直に言って、今までの RubyKaigi は RubyKaigi2007 で終わってしまったのではないか。 RubyKaigi2007 の後の興奮が覚めつつある中で、考えたことはそのことだった。

もちろん比喩的な意味になるのだが、現在の RubyKaigi は、 RubyKaigi2007 で終わってしまったのだと思う。 ここでいう「終わる」という言葉は、頂点まで行き着く、という意味である。 今までの RubyKaigi の方向性の先に、進むべき道の余地は見出しがたい。

考えてみる。 RubyKaigi2007 を越える RubyKaigi を行うにはどうすればよいだろうか。 例えば、Dave Thomas の役割を担うのは誰だろうか。 そう思ったときに、それ以上のスピーカーは端的に言って見出しがたい。 しかも、たとえ Dave Thomas 本人がもう一度現れたとしても、 今年の Dave Thomas 以上の講演ができるかどうか、非常に怪しいと思われる。 それ以外のスピーカーについても、個々のスピーカーを取り上げればより素晴らしい出来を目指すことも可能だろうが、 全体として今回以上のクオリティを目指すのは、相当に難しい。 しかも、参加者からは参加人数をもっと増やすべきではという希望があがっている。 これはチケットが売り切れで入手できなかったという声に基づくものだが、 人数を増やせば増やすほど、発表のクオリティを上げるのは困難になるのは明らかである。

要するに、このまま継続することは、現状維持も難しく、 どちらかというと (規模はともかく、質的には) 縮小再生産になる可能性が高い。

もちろん、別に越えなくてもよい、越える必要はない、という意見もあるだろう。 継続するだけでも素晴らしいことではある。 まつもとさんも、 Ruby の開発についてその継続性を重視された発言がたびたびあった。 現状維持のまま、 RubyKaigi の場を維持し続ける方向性を探ることも、 あながち間違いとはいえない。

しかしながら、現状の体制で現状の RubyKaigi を維持し続けることは厳しい。 一部のスタッフに過度の労力を要求しがちになり、あまりに犠牲が大きすぎる。 そして何より、現状維持を目標としては、運営側が達成感を得ることが難しい。 自発的な活動に基づく運営は、達成感は非常に大きな要素であり、これを無視した設計は端的にありえない。

正直に言えば、手段のために目的を探すようで、 なにやら本末転倒な気がしないでもないのだが、 この場合は手段が成果物ともなっているので自然と言えなくもない。

RubyKaigi2007 のメッセージは何か。 RubyKaigi2007 のテーマは、 「2007 年の Ruby が見える、2007 年の Ruby に会える」 というものだった。 このテーマに照らし合わせながら考えてみる。 とりわけ Rails 以後の Ruby は、大きな「浸透と拡散」の流れの中にある。 RubyKaigi で出会えた「2007 年の Ruby」とは、 その大きな流れの中で、Ruby をとりまく人々や環境が変わっていく様でもあった。 そして Dave Thomas が語ったのは、 その核心として、「私たちは Ruby が好きだ」という事実を再確認し、 新たに加わろうとしている人々を歓迎していこうという主張であった。 その基調講演は Ruby コミュニティの一体感を強烈に演出したのだが、 しかしながらその一体感は、実際にはそこにそぐわない部分を捨象した、一種の幻想に過ぎない。 そしてその幻想が説得力を持ち続けられるのも、さほど長くはないだろう。 それよりも、むしろ多面的に展開する Ruby と多様化する Rubyist の中で、 その多様性を肯定できるような RubyKaigi が求められているようにも思う。

思えば、「多様性は善」という言葉も、Ruby を支えてきたポリシーの一つである。 多様性に富んだ RubyKaigi というイメージは、RubyKaigi の新たな目標として、 私たちをドライブしてくれるのではないか。

なお、もう一点、目標として RubyConf との関わりについても考えていることがあるのだが、それについてはまた別の機会に譲りたい。

(るびま編集長 高橋征義)