るびま 10 周年企画として、編集者として、または、執筆者として「今から振り返るとあの記事って」という感想を、GitHub で募集 しました。1 ヶ月弱の間にいただいた執筆者、編集者、インタビューされた皆様の今昔をお楽しみください。
最初の記事が 2005 年 5 月号だったようなので、随分遠い昔です。 内容は、古い記事のわりには、そこそこ今でも通用する話じゃないかと思います。 つまり、YARV はあんまり進化していない、ということか……。
いろいろ進化はしているので、また書き足していきたいですね。
るびま 1 周年の企画 | この企画、今だったら |
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いまさら ruby 1.6? | いまさら ruby 1.8? |
ruby-list ML で調査 | ML 自体下火→要変更 |
調べた範囲で移行済 | 組込製品等で現役か? |
これ 2005 年ですか! 9 年もたったんですねえ。書籍にもなったこの連載ですが、毎回やったら長くて書くの本当に大変でした。最終的にはネタ不足とマンネリ化が最大の敵でしたけど。
この連載では毎回たいへん偉そうに「添削」していたわけですが、書いてる当初から「あれは飲み会のネタ提供記事だ!」と断言していまして、普遍的なよさよりも偏りまくった「よさ」が目標でした。ネタとしてはなかなか面白かったのではないかと思います。たしか笹田さん発案だったと思いますが、これは企画の勝利ですね。のちにいろいろな人が添削を続けてくれたりもして、筆者冥利に尽きるというものです。
ていうか、いま本を引っ張り出して読んでるんですがスゲー面白いですねこの記事。ぜひこの機会にご再読ください! なお次回は未定です。
普通の連載記事の中で一番回数が多かった標準添付ライブラリ紹介の多くの回の記事を書きました。 最初は単発の予定だったのに連載になったり、最後の方はライブラリの話は少なめにして正規表現の話になったりということもありました。
最近は gem にして標準添付を減らす方針なので、連載が再開する可能性は低いですが、途中で他の人 (成瀬、cuzic) にも書いてもらえて全体として良い連載だったと思います。
すっかり止まっててごめんなさい。書籍化の話なんかもあったんですが、私があまりにもノロマなので立ち消えてしまいました。そのぶん、日経 Linux で (自作) 言語ネタの連載をしてますので、そちらをどうぞよろしく。
若気の至りだ……若い……
このパッチ、だいぶ酷いコードを投げてしまっていまも結構そのままなのはだいぶ悔やんでいます。すいませんでしたとしか言いようがない。 あと、この記事の初稿がだいぶひどい日本語で、指摘がけっこうあったのを覚えています。今はもうちょっとマシな日本語をかけるはずで、この時の経験はスキル向上のよいきっかけになりましたね。
後はこの時にいろいろプロセス間通信とかのスキルを身に付けたせいか、後々 (今) プロセス管理とかのコードをわりと書く事が多く、当時アドバイスをくださったみなさんにも感謝しております。
(そんな、だいぶ黒歴史になりつつあるコードを含んだ test/unit ですが、Ruby 2.2 で標準ライブラリからは消える雰囲気がただよっております。そもそも最近だと parallel_tests とか rrrspec かな!)
当時ゴルフについて言いたかったことは るびまゴルフ【最終回】に書いた通りで、特になにも変わってないです。
内容的には特になにも。個人的、というか僕自身はザコゴルファーになりました。
巻頭言については、今から振り返っても「〆切つらい(というか間に合ってない)」の感想ばかりで……(いつも遅くてすみません)。
一番印象深いのは第 6 号の巻頭言で、その年の SF セミナーに参加してるときの休み時間に会場 (RubyKaigi 2007 をやった全電通労働会館ホール) 近くの喫茶店で泣きながら原稿修正してたのを、毎年 SF セミナーに参加するたびにふと思い出します。
見つけたら逐次編集の人に直してもらったので今はないはず。紙媒体だと直すのは大変だと思いますが、Web 媒体なので逐次直せて助かりました。
rcairo についてのすべてが詰まっていて、立派だなぁと思いました。7 年前の文章なんですけど、「あぁ、自分が書いた文章っぽいなぁ」と感じるのが不思議です。
あんまり変わらなかったんじゃないかと思います。今でも、知る人ぞ知るライブラリーのままなはずです。
久しぶりに咳さんとセッションできたのが感慨深かったです。
咳さんは相変わらず咳さんっぽいコードを書いていました。私は、一緒にコードを書いていると、このコードはあの人のコードっぽいというのを感じるようになるんですが、そういうのが好きなんだなぁと思いました。
咳さんの返事の回の synchronize メソッドがあることの意味については、自分にはなかった視点で、あぁたしかにそうだなぁと思ったので、やってよかったです。勉強になりました。
この頃、編集してくれたたなべさんとは面識がなくて、たなべさんが提案してくれた「咳さんの返事の回の『延長戦』のところ」は「え、これ必要!?こんな感じでいいの!?」とだいぶピンとこないまま書いたものでした。咳さんも同じように感じていたみたいで、咳さんとは(実装の仕方は違うことが多いけど)感じ方は似ているのかもなぁと思ったものでした。
その後、たなべさんと会う機会がありました。その縁で、イベント会場を提供してくれたり、一緒にイベントに参加してくれたり、いろいろ話をしたりしました。それらを経て、私の中で「たなべさん、とてもすばらしい人じゃん!」感がとてもあがりました。今、「延長戦」の提案をもらったら、また違った書き方をしたかもしれません。
相変わらずのことを確認できたり、新しいつながりができたりしたので、るびまに記事を書いてよかったです。
咳といいます。
私も須藤さんとの記事が大好き。須藤さんとは基本的に意見は合わないんだけどひっかかるポイントが同じなのがとても楽しいです。他の人と感想戦できる感じがしなかったので続きできなかったのは残念だけど、ほんと、あの記事大好き。
なんともう 5 年も前ですか……。思えばはじめてちゃんと GC についてまとまった記事を書いたのがこれだったような。それからこの記事は英訳されて英語圏でもわりといろんな人が読んでくれたいみたいですね。あと、この辺りを見てくれた編集者さんが GC 本の企画を持ち掛けてくださったりして、大分活躍の幅が広がったような気がします。
思えば前職のときにタコ部屋で Java を書きまくっていた時、昼休みにコソコソと読んでいたのが『Rubyist Magazine 出張版 正しい Ruby コードの書き方講座』でした。その当時からお世話になっております (ペコペコ)。
Hotlinks も好きで読んでたんですけども、まさか自分がインタビューされる側になるとは。その当時は Hotlinks が止まっていて、RubyKaigi の懇親会にて酔った勢いでささださんに「また Hotlinks やってくださいよ~!」と言ったらインタビューされることになりまして、なんでも言ってみるもんだなぁと思います。
そこからは継続していろんな人のインタビューが掲載され、インタビュアーも変わり、編集スタイルも変わって読みやすくなり、と。色々と読みなおしていくと楽しいですねぇ。
などと取り留めもなく駄文を書いてしまいました……。昔話をグダグダとしだしたらオッサン、とよく言いますが、まさか自分がそうなるとは!もう 5 年も経つんだから、しょうがないですね!
2 回で止まっている連載です。すみません。
当時と今とを比べると、ツール周りはすっかり変わってしまっていますね。Cucumber や Turnip が登場したり、should syntax が非標準になったりしてコード自体は完全に古くなっているところに、Ruby エコシステムの動きの速さを感じます。
その一方で、第 1 回の前半など、心がけや考え方、TDD とはなにかという視点は古びておらず、いまも通用しそうです。するといいな。なかなか良いことを言っていると思います(おもに かくたに が)。
TDD は開発手法、設計手法なのでツールの使い方以上に何を考えながらテストを書くかというのがとても大事です。そういう意味では、いまの道具立てですと t-wada さんの「RSpec の入門とその一歩先へ」を、jnchito さんがアップデートしたものなんかがよさそうです。
当時は学生だったようです。このリンゴの絵はマウスで適当に描いたやつですが、巡り巡って NHK の Ruby 特集で映ったりしました。数奇な運命です。
「まだ Ruby で仕事をしたことがない」とか言ってますね。あれからいろいろ Ruby でお仕事をしました (Rails も non Rails も)。
現在は開店休業中です。ruby-dev に流れるのはバグフィックスが主でそれほど翻訳が重要になる記事がなかったというのが主な理由です(作る前に気づけよ)。
写真をたくさん入れてみました。何名かから「すごい楽しそう」という感想をいただいたので、目的は達せられたと思います。nari3 の脚注もいい仕事しています。
るびまで英訳もしていただきました。Lazy は解説動画ができたり反響があって喜んでいます。API を考えるより、「これは何に使えるものなのか」を整理する方が時間がかかった覚えがあります。
ちゃんと編集をしてもらう記事というのを書いたことがあまり無かったので、やはりそれなりのパワーと気合いを使いました。大体 1 日 1 章のペースで順調に書いていたのですが、途中 CodeRay の章で急に書けなくなってそれから何日か筆が止まりました。1 冊の本を書く人はこんな苦労を後 x100 位 (私の書いた記事は多分紙にしたら数ページなので) するんだなぁと思ってすごさを実感しました。
編集してもらうと普段ブログに書くものよりもよい文章になってよかったです。(編集による改善+編集されるからちゃんと書かねばの緊張感) 広く浅くたくさんの gem を紹介したのですが、もう少し紹介する gem を絞り込んで深く説明するパターンだとどうだったかなぁ。
おかげさまで Milkode の知名度は上がったのではないかと思います。並みいる強敵の中でアクセスランキングに (10 位だけど) ランクイン出来たのがとても嬉しかったです。いつも読んでいたるびまに自分の書いた記事が載った時は感動しました。
最近わたし自身はめっきり Excel というプロダクトとはご無沙汰なのですが、この記事は今でも参照いただいているようで、大変ありがたい事です。
レポートも書いた東京 Ruby 会議 05 の後、東京 Ruby 会議 10 という難易度: 豪雪な催しを開催しました。それ以来燃え尽き感があったのですが、最近またモチベーションが沸き上がってきているところです。
Ruby のことを知ってからずっと RubyConf は憧れでした。「いつか行ってみたい」と思いながらもなかなか果たせず、毎年会期中は夜遅くまで “mput の日記” を F5 連打して寝不足で職場へ向かい、終わってからはるびまにレポートが掲載されるのを楽しみにしていました (イマドキの Rubyist は「mputって誰よ」って感じですよね……)。
ついに自分が参加できた RubyConf、毎年楽しみに読んでいたレポート記事を自分が書く、というのは当時の私には高いハードルでした。同行した htkymtks が一緒に書いてくれたから何とかかたちにできたと思います。「もっと日本からの参加者が増えるといいな」と思いながら記事にしたことをよくおぼえています。
その後、北米の RubyConf への日本からの参加者は増えていったのですが、それと反比例するかのようにるびまのレポート記事寄稿が減ってしまっている状況は少し寂しいです。一方、他のさまざまな海外カンファレンス参加レポート記事は増えており、これはこれで読んでいて楽しいとは思うものの、RubyConf のレポート記事も読みたいなあ、と思います (今年参加する人、どなたか書いてみませんか?)
いずれも自分が出てくるインタビュー記事なのですが、テープ起こしの状態では自分のトークがいずれも支離滅裂で話のつながりも妙で、そのままでは読めたもんじゃありませんでした。そこで、いずれの記事も発言を言い換えたり、トピックの順番を入れ替えるなど、全面的に手を入れました。特に RubyKaigi 2010 後のインタビュー記事はかなりの難産で、記事が仕上がる前に「最後の」RubyKaigi 2011 の会期が迫ってくる事態にいたりました (「はじめに」に警告が書いてある)。
当たり前のことなのですが、「いつも読んでるるびま」は誰かが記事を書いているから続いているわけで、10 年間のるびまの記事執筆者の皆さん、編集者の皆さんの仕事に感謝します。ありがとうございます。次の 10 年も「Rubyist の Rubyist による、Rubyist とそうでない人のためのウェブ雑誌」を楽しく読み続けたいです。
最後に、7 年前の記事なのにいまだるびまアクセスランキングで上位にランクインする(ありがとうございます)「スはスペックのス」、更新できなくてごめんなさい……。いつかどこかでリベンジできたらなあ、と思ってはいますが……ばたり。
「Rubyist Hotlinks 【第 8 回】 田中哲さん」を編集しました。自分にとっても周囲にとってもさまざまな意味でエポックメーキングだったなあと思います。いまやこれをやるのはまず体力の面で厳しい。
その 8 年後にインタビューされたけど、される側の難しさというものとは、こういうものだったのか。やってみて初めて分かるものというのは、あるのですね。
レポート記事をメインに書いていました。書いた記事のうち、印象に残っているものを挙げてみました。
初めて Ruby 会議でレポートを書くということで、とても緊張していたことを覚えています。
初めてレポート班長と、実行委員を経験したイベントでした。
初めての海外カンファレンス参加レポートです。とても楽しい場所でした。
るびま編集部の内部的な話ですが、進行役を初めて経験したのはこの号でした。公開されたことを ML や blog に書くときはとても緊張しました。Twitter で拡散されていく様子を見て安心したのと同時に、嬉しくなったことを今でも思い出します。
編集した記事は記名・無記名に関わらずいろいろある (詳細は GitHub Issues で Close になったものを見ていただければ) のですが、それはさておき自分が執筆した記事について。
自分が初めて Rubyist Magazine に投稿した記事です。当時は色々なプログラミング言語を勉強していた頃だったのですが、Python のジェネレータのような機能が Ruby にないなあ、と思っていたら Ruby 1.9 から Fiber として入ったことを知り、しかもあまり知られていないようでしたので、せっかくなので自分が勉強した知見 (手続き型言語と関数型言語の違い) を含めて紹介記事を書きたいなあと思ったのがきっかけでした。力及ばず内容についてご批判もいくつかいただいたのですが「面白かったよ!」「わかりやすかった!」というコメントもいただき、誰かのお役に立ったのであれば嬉しいですね。
その当時、世の中では「ビッグデータ」がバズワードっぽい感じで流行しており「Hadoop で MapReduce ですよ!」みたいなことを言われていたので、流行に乗って MapReduce を「Rubyist の map 派 collect 派」に絡めて説明したら一本ネタ的な記事になるんじゃないかなあということで書いてみました。これまた上記の記事同様、裏のテーマは「手続き型言語と関数型言語の違い」なんですが、今でも定期的に関数型言語が話題になっては消えたりしていることや、現在の Hadoop や Google 自身が MapReduce を使っていなかったりもするのを見るに、関数型言語の理論的な面白さと手続き型言語の実用の狭間で揺れていて、歴史というものは繰り返すものなのだなあ、と感慨もひとしおです。この記事もやっぱり内容についてご批判いただくとともに「面白かった!」というご好評もいただきました。ありがとうございます。
オブジェクト指向が難しい、という話をよく聞きます。Ruby をちゃんと学んだ人であれば「オブジェクト指向プログラミング」は空気のように当たり前の話なので、そのあたりを何かうまく説明できないかなあと思いつつ書き始めたものの筆が止まってかれこれ 2 年になりました。すみません。こちらの記事も行き着く先は「手続き型言語と関数型言語の違い」の説明だったりするので、続きは「アンダースタンディング コンピュテーション」を買って読もう! ということでお茶を濁したいと思います (だめ?)。
記事を書いてくれた執筆者の皆様にあらためて感謝を。担当全記事を書こうと思いながら力尽きたので、とくに思い入れのある記事に絞って書くことを許してください。
るびまとの最初の接点は第一回目の地域 Ruby 会議のレポート執筆でした。今見るとずいぶんと豪華な発表陣ですね。運営側としてはかくたにさんがほとんど一人でこなしてしまって、レポート係以外にとくになにもしなくても地域 Ruby 会議が開催されたのが当時印象的でした。その後このときの関わりがきっかけで Reboot 前の RubyKaigi の実行委員へ誘われ、Ruby のコミュニティに関わるきっかけになった記事でもあります。るびまに記事を書くと人生変わることもありますよ。
RubyKaigi の実行委員が一緒だったご縁でこしばさんに執筆をお願いして編集を担当した記事。当時のこしばさんは業務システムの開発の話をする人というイメージでした。編集者になったと同時に担当記事があったというのが、るびま編集の中で居場所をつくって長く続けることができた一番の理由でした。担当記事があるとやることがあって編集部の中で発言機会があるという気付きがなければ私もいつのまにかフェードアウトしていた気がします。
RubyKaigi の実行委員をした経験が非常に学ぶことが多かったので、「RubyKaigi の作り方」をなにかしら残せないかと開催後の疲れきった && テンションは高いところへ無理やりお願いしていろいろな方に書いてもらった記事。読んだ人へはどんな風に読まれたのか気になります。
2011 年 4 月。地震の直後に出した号です。この時期は桑田さんが編集者としてそして執筆者として両面で大活躍されてました。日常生活が安定しないなかで、いつもどおりの生活を続けるための号を出したくて当たり前のるびまをちゃんと出そうという思いで編集していたのを覚えています。
桑田さんの企画で始まった他言語からの訪問シリーズの第一回目。Matz の他言語探訪が連載されなくなったなかで新しいスタイルの他言語紹介記事でした。これはぜひ続けていきたいので、他の言語からの訪問者に心当たりがある方は紹介してください。
赤松さんによる RSpec らしい RSpec の書き方を解説した記事。今でも類似の内容は少なく私自身も何度も後から参照したことがあり、こういう記事をるびまに載せたいと心から思える記事の一つの形です。
2011 年のほうの Making of RubyKaigi です。
これはたしか担当編集というわけではなかったと思うのですが、思い入れがあって校正をがんばった印象があります。RubyKaigi2010 の裏側 をあわせて読みたい。
こちらは Dave Thomas が来日して Asakusa.rb で語った話の感想レポートです。執筆しました。これまで自分で書いた文章の中で一番気に入っています。
私がるびま編集をするくらいにるびまファンとなったのは間違いなく青木さんのコード添削記事があったからであり、この感想戦の連載はそこへのアンサーソングとしての企画で始めました。その意気込みのわりにいろいろ空回りして執筆者のお二人へご迷惑やご心配をおかけしたのは本当に申し訳なく思い反省しています。最初の二人の組合せがいきなりの大ボス感があり、次の組合せが浮かばず第二弾が続けられていません。こんな二人の感想戦を読んでみたいという組合せを思いついた方はぜひお知らせください。
こちらも発表を Ust で見て、るびまに記事で残したいと思ってお願いし書いてもらった記事になります。このような読んだ人がそのまま読んだその日から自分の生活の中で活かせるような記事も私の中でのるびまに載っていてほしい記事の一つの形です。
対象的なのが、最近のこちら。執筆者のさわださんに記事をお願いしたときには記事のテーマを絞らずお願いしたのですが、たまたま出てきたテーマが burn でした。初期のるびまには遊び心のある記事が多かった印象があり、対して近年はそのような記事があまりないなと思っていたところだったので、この記事を掲載できたのはうれしいことでした。
10 年も続くと、思い出せない記事も沢山あって、こうして見直してみると、沢山良い記事があるなぁ、という気がしますね。
今後ともご愛顧のほど、よろしくお願いします。あ、記事も編集協力も待ってますよ!
(編集: zunda、「終わりに」の文責:ささだ)